懐古オヤジのボヤキ録

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アマチュア無線の普及に貢献したOM達ーケンウッド、ヤエス、アイコムの生い立ち

アマチュア無線の普及に貢献したOM達ーケンウッド、ヤエス、アイコムの生い立ち

 

CRW_9117: Vintage Gear

 

 アマチュア無線の再開と現状

昭和25年6月1日(1950)に電波法が施行され以後この日を記念して「電波の日」が設けられた。

昭和26年6月(1951) 第1回の国家試験が実施され、1級47名、2級59名合格しました。
昭和27年7月(1952) 30局に予備免許が発給され、ハムが再開しました。

この時がアマチュア無線の再開の日です。

 

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日本全国で300万人以上がアマチュア無線の従事者免許を持っていますが9割以上が4アマです。

急激にアマチュア無線の従事者免許の所持者が、増えたのは昭和33年の電波法が改正され、電信、電話級の制度が出来てからです。

さらに拍車をかけたのが、ほとんどの受講者が合格する講習会制度です。


一方で開局数はピーク時で136万局ありましたが、2018/08時点で42万1,128局。

ピーク時の1/3で減少に歯止めがかかりません。

 

ハム人口減少の原因は

少子高齢化による自然減。
携帯電話の登場と普及によって、携帯電話の登場以前にアマチュア無線を簡単な電話代わりで使っていたアマチュア無線家が廃局した。
無線通信にはそれなりの設備が必要で手軽に多目的に使えるインターネット普及によって、見知らぬ相手や外国人と交流したい人は、その掲示板やチャット機能などを利用するようになった。

 

無線機メーカーの現状

無線機器メーカーもかっては中小企業や異業種のメーカーがこぞっで無線機を発売していましたが、ブームが下火になると次々と撤退していきました。
現在残っているメーカーは、ヤエス、ケンウッド、アイコム、アルインコとごく一部の中小メーカーです。
 

1950年代にOM達が無線機の製造と販売に乗り出しました

ケンウッドの全身の春日無線電機商会 はもう少し早く1946年 春日二郎氏(JA1KJ )

が設立しました。

以後春日無線工業(1950) →トリオ(1960)→ケンウッド(1986) → JVCケンウッド(2011)へと変遷。

アイコムは井上徳造氏(JA3FA)が、井上電機製作所 1954年に設立、後にアイコム(1978)

八重洲無線は 長谷川佐幸氏(JA1MP)が、1956年に前身の  ゼネラルテレビサ-ビスを設立、以後→ 八重洲無線(1964) →バ-テックス スンダ-ド(2000) → 八重洲無線(2012)

  

アマチュア無線機の3大メーカー

ケンウッド

3社のなかで一番古く1946年長野県駒ヶ根市に有限会社春日無線電機商会として設立。
当初は高周波コイル(ラジオ受信機の部品)製造からスタートした。
ノイズの少ない電波環境である伊那谷で培った高周波技術がFMチューナー、無線機器の礎となっている。

 

春日無線時代のコイル、IFTはスター、QQQと共に自作派にとってはありがたい存在で随分お世話になりました。

特にコイルパックは群を抜いていました。

 

1947年に商標をTRIOとし、1960年には社名もトリオに変更。
オーディオブーム全盛の頃には山水電気(破産済み)、
パイオニアと並びオーディオ御三家とされ「サン・トリ・パイ」と通称された。
1972年に創立者の春日兄弟が社内クーデターで社を追われ、アキュフェーズを設立している。


同年に9R59を開発した技術者の高田さんがミズホ通信 (1972年1月 高田継男JA1AMH )を設立されていますが、社内クーデターに関係していたと推察されます。

 

アキュフェーズは家庭用の高級オーディオ(各種アンプ・プレーヤー・イコライザ)と
業務用オーディオ機器を製造販売しており、高価格帯のピュアオーディオに特化している。
同社製品はアンプ類で5年間、ディスク・プレーヤーは3年間のメーカー保証がある。
また生産終了品のパーツ類も全て可能な限りストックしているため、かなり前のモデルでもオリジナルパーツでの補修が可能な場合がある。

 

また、長年アマチュア無線や受信機を手がけてきた技術を評価され「チューナーのトリオ」とも呼ばれていた。

アイコム

1954年 - 井上徳造が京都府相楽郡山城町に「井上電機製作所」を創業
井上電機製作所 1954年4月 井上徳造JA3FA アイコム(1978)

 

私は開局当時は今でこそオールラウンドですが、VHFメーカーと認識しておりました。
日本初の可搬型機を開発し、携帯用無線機メーカーの草分け的存在である。
昭和39年(1964) FDAM-1(井上電機製作所=現アイコム)オール・トランジスタを使用した50Mc AMトランシーバーが25,000円で発売されました。

 

25,000円は1月の月給以上でしたので、手が出ずはじめて手にしたのはFDAM-3でした。

以後UHFにおいてメーカーとしてははじめてのPLLによる1200MHz帯のFMトランシーバーIC-120を発売しております。

私はまだ時々ですがレピーターで使用しています。

 

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ヤエス

八重洲無線 1956年2月 長谷川佐幸JA1MP ゼネラルテレビサ-ビス → 八重洲無線(1964) →バ-テックス スンダ-ド(2000) → 八重洲無線(2012)
AM全盛時代にすでに SSBジェネレーターを昭和35年から販売していました。

 

業務機の通信機メーカーとして産声を上げ,まだ『ゼネラルテレビサービス』という
社名だった八重洲無線は,1960年のはじめに初のアマチュア無線用機器として
A型SSBジェネレータ・キットを発売しました.クリスタル・フィルタ式の製品で4,400円.
このキットは同社初のアマチュア無線家向け製品となります.

興味はありましたが、難しそうで手に負えないと決めつけておりました。


1962年には初のSSB送信機,FL-20を発売しました.これは3.5MHz~28MHz帯をすべてカバーする送信機で,SSB/CWは10W,AMは2.5Wの出力,価格は49,800円でしたが,局発水晶は未実装でバンド水晶は一つしか入っていませんので,実際にオン・エアする場合はさらに追加投資が必要でした。

 

1967年になるとFL-50,FR-50の送受信機が発表されます.このリグは,送信は5MHzのクリスタル・フィルタを用いたシングル・コンバージョン,受信は455kHzのメカニカル・フィルタを用いたダブル・コンバージョンです.
思い切った回路構成を取ったことから安価でSSBが出せるという点は良かったのですが,VFOの安定度には少々難がありました.
これはコストパフォーマンスが良く,マイナー・チェンジしたFL-50B,FR-50Bはベストセラーとなります.

 

現状では3大メーカーではなく、精力的に活動しているアルインコも加えて4大メーカーと呼ぶのが適切かもしれません。

 

その他のメーカー

昭和25年8月(1950) コイルの富士製作所、スイッチとバリコンの片岡電気(アルプス=現アルパイン)、ダイアルの東洋電気の3社合同でRF1段、IF2段、GT管9球通信型受信機キットS-50Aが発売されました。

昭和28年(1953) 測定器メーカーの菊水電波(現=菊水電子工業)から受信機のキット、
スカイシスターS-53 RF1段IF2段11球4バンドスーパーと、その下位機種として6球スーパー、スカイベビー S-38を発売。

 

昭和31年(1956) 807という名前の送信機、変調器、電源がセパレート式になったものが、デリカ(三田無線)から発売になりました。
3.5Mc帯と7Mc帯の2バンドで、終段が807、1本の電力増幅器に、変調器807ハイシングの10W機でした。


終段に832Aを使った50Mc帯と144Mc帯2バンドの送信機キットが
VHFという名前でデリカ(三田無線)から5,900円で発売されました。
当時、VHFの送信機を製作するには、高度な知識と技術が必要とされていましたから、
大変話題になったものでした。

電源、変調部は、自分で持っているHFの送信機と共用するようになっていました。

 

他にも山七商店、三和無線測器、西村通信機、太陽無線技術研究所、トヨムラ、三協電機等いろいろなメーカーがいろいろな機種を発売しておりました。
家電メーカーの松下電器、、新日本電気等の参入もありました。

 

1970年代になると

エ-オ-ア-ル 1978年7月10日 高野 茂JA1AOR

三協特殊無線 1971年 小川恭平JA1JF

湘南高周波研究所   稲葉全彦JA1AI

太陽無線技術研究所   日村一義JA1NT

東京ハイパワ-研究所 1975年1月 若林伸樹JA1DJW 東京ハイパワ-(1977) 

フロンティア・エレクトリック   平川定広JA1FSL 廃業

ミズホ通信 1972年1月 高田継男JA1AMH 

等のOM達が無線機等の製造と販売に参入しましたが、残っているのは私の知る範囲ではエーオーアールだけだと思います。

  

 無線機の買取依頼は本、無線機買取ハム歴55年の川花書房(JA2FJG)

 

移動好き、初心者向けにお薦めののHF~430MHzまでのオールモード機

 

 

 ケンウッドファンの方は

 

 

 アイコム好きの方には

 

 

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